前略 X様

久しぶりに暇が有り余っているのでボケた頭を揺さぶって日本で買った本をいろいろ齧り読みしている。
そんな中で、養老孟司「超バカの壁」(新潮新書)は読みやすいので、今日買って今日一気に読み終わった。
今回のテーマは前作より少々具体的で、僕とは思考経路が少し違うなあと思う時もあるが、出て来る結論に一々賛成できるので安心して読み進められる。
特に共感するのは仕事に関する考え方と中国に対する態度である。

僕も前から「自分探し」という言葉が嫌いで、自分に合った仕事を求める余りに仕事をしなくなるというのには何か根本的な勘違いが有るのではないかと思っていた。
いつからそのように思い始めたかと言うと、前に勤めていた会社の上司から「お前はこの仕事に向いていない。しかしそれはお前の人間としての価値とは何の関係も無い。」と言われてアッサリと辞めてしまった時からである。
その時から僕は、「自分はこういうカッコいい仕事をして、カッコいい仕事をしているカッコいい人だと思われたいし、そう思われるようになる事によって高給取りになると同時に女にモテたい」というような欲望というか野望と綺麗に縁を切ったつもりでいる。
カッコいいと思われるよりも、誰か他の人に「君の力が必要だ」と言ってもらえる方が幸せだと考えるようになったのである。

だからその前の会社の上司には、事実上僕の首を切った人なのだけれども、その事を僕に早く気づかせてくれた人として今でも感謝しているし、何か迷ったら相談することもある。
また、その事が有ってから僕は仕事を選ぶ基準が変わった。
どちらがよりやりたい仕事か、という事よりも、どちらがより僕の力を必要としてくれているかということが仕事を選ぶ最重要な基準となった。
だから仕事ができるように努力するのは、誰かが僕を必要だと思うようにする為であり、それが養老孟司の言う「穴を埋める」という事なのだと思った。

それから中国関係だが、「実は(戦争に)日本人は懲りていて、懲りていないのは向こう」という記述に出会った時は「まさにその通り!」と膝を打った。
靖国問題に関して言えば「中国、韓国は放っておく」というのも最近の僕の結論と同じである。
尤も、僕は「放っておく」ことによって怒り狂った中国の若者に殺される確率が日本に住んでいる養老先生よりも高いので、政治的な意見として賛成できても、個別の状況によっては「放っておく」事ができない。
つまり僕がここで今後考えるべき中国人との関係というのは、普遍的に政治的な国同士の関係と言うよりも、単に僕が何をどうすれば良いのかという関係に過ぎない。

但し、当然ながら養老孟司とは見方が異なるところもある。
例えば人件費が安いからという理由で中国に工場を建てるというのは前近代的な搾取と大差が無く倫理的に問題があるという意味のことが書かれているが、ちょっと待てと言いたい。
僕の考えでは、むしろ外国から工場を誘致しなければ貧乏が無くならないような所だからこそ、工場を建てる意味がある。
この辺の実感は、たぶん中国の工場で中国人と一緒に働いた経験が無い学者には理解できない。

だいたい、外国から工場が来たからと言って、どの国でも中国のように短期間に大発展できるわけではない。
フィリピンだって、インドネシアだって、中国が発展するよりも昔から外資企業を誘致してきたが、上手くいっていない。
搾取と言わば言え。
だが、その搾取される側が何も分かっていなければ搾取すら上手くできないし、まして双方が納得して利益を得るなどという事は夢のまた夢だ。

しかし、それを理解できないということのみを以って、養老孟司は所詮学者だからものが分かってない、などと言うつもりはない。
本の中にも書いてある通り、どんなに正しいと思える理屈でも、せいぜい7割くらいしか正しくない、と心得て人の意見は聞いておくものだろう。
100%正しいと思い、その通りに行動してしまった時点で、その人は原理主義者であり、過激派とかテロリストの仲間入りまであと一歩である。
そうして憎しみや不幸を増大させるよりは、人間は3割くらい、いい加減で考えが振れる部分が有った方が良いのだ。

早々